湯守の宿 三之亟(赤倉温泉・山形県最上町)|天然の巨岩をくり抜いて作られた300歳強の「足元湧出」岩風呂がサイコーすぎる

本には2箇所の「赤倉温泉」があります。新潟県妙高市にある妙高高原温泉郷の一つである赤倉温泉と、山形県最上町にある赤倉温泉です。

 前者はスキーレジャーが盛んな地域であり、また「温泉ソムリエ」と呼ばれる認定資格の発祥の地であることから、多くの方が赤倉温泉と聞くと新潟の方を思い浮かべるのではないでしょうか。小津安二郎監督の現存する最古の作品『学生ロマンス 若き日』のロケ地としても、映画通には有名なようです。

 今回はそちらではなく、山形の赤倉温泉についてです。なんとこの温泉地、全旅館に自家源泉があり、豊富な湯量で源泉かけ流しのお風呂を提供しているとのこと。記事執筆時点で休業中のところ含めて9つの宿泊施設がある中、「湯守の宿 三之亟(さんのじょう)」への連泊記録になります。どうですか、この見事な岩風呂は。これでさらに、お湯が「足元湧出」なんです。記憶に刻まれる入浴体験となりました。

※本記事は訪問日(2023年10月28日)時点の情報です

湯守の宿 三之亟へのアクセス

 今回の旅では、宮城県の鳴子温泉方面からクルマで、JR陸羽東線沿いの国道47号を通って赤倉温泉へと辿り着きました。実は家族で鳴子温泉及び東鳴子温泉で3泊した後に「もう少しクセの少ないマイルドな泉質にも入って帰りたいね」という話になり、付近の温泉をGoogleマップで調べていたところ、同じ宮城県ではなく山形県に入った方がアクセスが良く良質な温泉も多いことが判明し、その流れで赤倉温泉に連泊することが決まりました。

 国道47号から国道28号へと進み、そのまま数分クルマを走らせると赤倉温泉の看板が見えてきます。大きな温泉街を擁する温泉地にはない渋みがある、いかにも鄙びた感じの素晴らしい雰囲気です。電車で向かう場合は、JR陸羽東線「赤倉温泉駅」が最寄駅となるのですが、駅からクルマで5分程度とのことで歩くにしても若干距離があります。

赤倉温泉の入り口

 赤倉温泉の起源は古く、伝説によると、863年(貞観5年)にまで遡ります。赤倉温泉観光協会による赤倉温泉歴史館ページによると、以下のように記載されています。

伝説によれば、慈覚大師円仁(794年―864年)が貞観5年(863年、山寺立石寺を開山した3年後)の奥羽地方巡の折に今の赤倉温泉にあたる地域を訪れた。その際、地元の村人が小国川の水で傷を負った馬を癒している姿を見た円仁が、手にした「錫杖(しゃくじょう)」で川底を突くと石の間から薬湯が湧き出たと言われる。鉱泉史では、享保6年(1721年)に記載記録がある。日山湯は、文政4年(1821年)に発見されている。

引用:赤倉温泉観光協会「赤倉温泉歴史館ページ」

 こちらのページでは、なぜ「赤倉」と呼ばれるようになったのかについても言及されており、もともとは仏教語の「閼伽(あか)」と危険な岩場を指す「蔵」の2文字から来ていると言います。詳細は上記ページをご覧ください。

外観&ロビー

 今回の目的地である「湯守の宿 三之亟」(以下、三之亟)は、上記看板のすぐ奥に位置しています。このつげ義春の世界に出てきそうな雰囲気の宿看板が素敵でした。日中に見るよりも夕方以降に見た方が、電灯効果で雰囲気が倍増します。

よく見ると宿看板には大きめの蜘蛛の巣が複数張ってあり、それがまた、つげ義春的世界観を増幅させていた
入り口の横に積まれた薪がいい感じ
宿の入り口は、間に空間のある二重ドアとなっていて、最初のドアを開けると「身の垢も心の垢も諸共に赤倉の湯に洗い捨てけり」という看板と、その横に古い木製のスキー用具が飾ってある

 内側の入り口を開けるとフロントロビーが現れます。コンセプトとしては和洋折衷でしょうか。8割方が「和」なのですが、置き物などところどころが「洋」という感じで、少しだけ不思議に感じる空間となっていました。

見切れてしまっているが、左側にフロントがある
入り口に向かってのショット。真ん中の赤いクロスが敷かれたテーブルには、地酒や宿のパンフレット等が展示されている
奥には休憩スペースとして和室がある。手前にはコーヒーコーナーもあり、コーヒー好きには有難い一角となっている(僕は飲めないが)
ロビー奥に掲示されている館内地図。ロビーがあるフロアは2階で、三之亟名物の“天然岩風呂”は1階にある。ちなみに、真ん中に小さく青色着色されている「女子浴室」は、現在は男女入れ替え制の浴室(ひょうたん風呂)として運用されている
ロビーとひょうたん風呂の間にある読書コーナー。漫画をはじめそれなりの量の本が用意されている
大半の廊下に、こういった年季の入った赤ベースの絨毯が敷かれている
昔は岩風呂浴場内に木が生えていたようだ
新館3階の和室に続く階段

お部屋

 

 今回僕たちが泊まったのは、新館3階の一番奥にある和室です。このフロアには全部で5つの部屋が用意されており、「羽黒」「湯殿」「鳥海」「蔵王」「月山」と、いずれも県内の山名が付いています(僕たちが泊まったのが月山)。これらの部屋はいずれも二間続きの和室となっており、三之亟で最も広い部屋とのことでした。

 
広縁がとても広く、奥半分は洋室としても使える
こんな感じでスペースを区切ることができる
 

お食事

 夕食は2日とも、客室としては使われなくなった個室でいただきました。部屋から向かう途中にある大広間に複数のスリッパがあったことから、夕食場所はプランによって異なるようです。

2日ともこちらのお部屋(203号室)で夕食をいただいた

夕食(初日)

こじんまりとした広さでちょうど良い
三之亟は全体的に食事のボリュームが多く、また味も美味しいことから、ついつい食べ過ぎてしまう。この日のメインはすき焼きだった
せっかく山形に来たので初日はオプションで馬刺しを頼んだわけですが、これがまた非常に美味い。いつまでも噛んでいられる
〆で出されたお蕎麦。こちらは山形を代表する玄蕎麦「最上早生(もがみわせ)」を使用した、若旦那渾身の手打ち蕎麦とのこと。ボリューミーなお料理の後だったが、喉越しがよく、こちらも非常に美味しかったので飲むように平らげてしまった

朝食(初日)

朝食会場は大広間にて。ご飯とお味噌汁、お茶等は前へと取りに行くスタイル。他の宿泊客と一緒に大きな電気釜からお米をよそっていると、なんだか学生時代の合宿を思い出した
朝食は素朴な味付けの和食膳。フルーツがあるのが嬉しい
広間の天井には三之亟の紋が埋め込まれている

夕食(二日目)

この日も地元食材を使った田舎料理がふんだんに出された
あまりお酒は飲まないが、旅行の最終日ということで地酒をいただく。こちらは山形県大蔵村にある蔵元「小屋酒造」が山田錦100%で特別に醸造した「大吟醸 絹」。非常にフルーティーな香りだった
この日も締めは蕎麦。器の全体感を写していないのでイメージしにくいかもしれないが、器が非常に大きく、これだけでお腹いっぱいになる方もいるのではないかと思うほどのボリュームだった。もちろんとても美味しかったので、前日同様飲むように平らげてしまった

朝食(二日目)

二日目ともなると洋の味に飢えてきていたので、左下のベーコン入り野菜炒めが嬉しかった

温泉

 三之亟には2つの源泉があり、それぞれ岩風呂とひょうたん風呂(貸切風呂)に配湯されています。どちらも泉質としては「カルシウム・ナトリウムー硫酸塩温泉(低張性弱アルカリ性高泉)」になります。

岩風呂

 三之亟といえば岩風呂です。宿としての創業は1891年(明治24年)ですが、現在に至るまで使われている岩風呂は、そこから200年ほど前の1700年ごろに掘られたとのことです。初代・髙橋三之亟が巨大な岩を手掘りでくり抜き、現在の形に整えたというから驚きです。現在(僕たちの宿泊時)の館主(有限会社髙橋三之亟旅館の社長)は第17代目ということで、宿としては130年強、岩風呂としては実に300年以上の歴史がある温泉宿なのです。この辺りの宿の歴史については、三之亟ホームページにある「温泉オヤジの伝言板」というブログコーナーの1記事(若旦那、酒を飲みながら三之亟の歴史を語る)で、より理解を深めることができるのでおすすめです。

館内各所にこけしが置いてある
1階から浴場につながる階段。「浴場」の木製看板が素晴らしい

 岩風呂に配湯されている源泉は「三之亟1号源泉」です。ひょうたん風呂に配湯されている「三之亟2号源泉」の泉温が53℃であるのに対して、こちらの泉温は63℃ということで、非常に熱いです。

 メイン画像として配置した写真はお昼に撮影したもので、こちらは夜間に撮影した岩風呂浴場内の様子です。天井が非常に高く、千人風呂のような雰囲気さえ漂う空間です。写真右手にある安山岩と湯船をすっぽりと覆う形で浴場が作られていることがお分かりいただけるでしょう。

 

 こちらの岩風呂には全部で3つの湯船が用意されています。それぞれ「深湯」「中湯」「高湯」と命名されていますが、そのうちの中湯は調整の結果高温になりすぎているので、基本的には現在は入浴できないとご主人に言われました(見えにくいでしょうが、手前の深湯と奥の中湯の間に赤いコーンが置いてあり、安易に近寄らないよう工夫されています)。

ロビー近くに貼ってある岩風呂の配置図

 浴場内階段を登った先にある「高湯」では、岩の上部を削りだして作った浴槽に向かって、高い位置から竹筒を使って湯が降り注がれています。ホームページに「大岩風呂の中では一番ぬるめの温度」と書かれており、たしかに入ってみると、泉温は相対的に低いと感じました。

250cm×180cm 最深50cmの高湯湯船
竹筒から滝のように落ちてくる高湯の源泉
高湯の隣に開けられた温泉洞。夜中に覗くと異様な不気味さが漂っている。穴の奥に源泉があるとのことだが、どちらの源泉なのか(三之亟1号源泉 or 三之亟2号源泉)は聞きそびれた
深湯と中湯の間にある木製装置は、源泉を振り分けるための源泉枡とのこと。ちなみに、入り口付近の横エリアには源泉が出るシャワーがあり、シャンプーや石鹸等も用意されている
源泉枡の手前にはびっしりと温泉成分が結晶化している
3つの中で最も広くて深い深湯の浴槽(480cm×300cm 最深130cm)

 こちらの「深湯」のマーブル模様の岩、いかがでしょうか。素晴らしくないですか。300余年前に中湯と共に手動で掘られてからゆっくりと水流等でえぐられていって、現在の深さになったとのことです。最深部は130cmとのことで、“立ち湯(立位浴)”に挑戦できます。

 さらに、こちらは足元湧出なので、岩の割れ目から時折ジュワジュワと源泉が湧き出てきます。結構な熱さなので、立ち湯中に思わず「熱っ!」となることがあります。結構勢いよく源泉が湧き出てくるわけですが、それは湯船が隣接する小国川の水面位置よりも低いところにあるからこその現象とのこと。全国的にも珍しい足元湧出な上に立ち湯ができる浴槽は、相当珍しいでしょう。

中湯の奥の壁には「昔之湯」という時とともに掘られたレリーフがある

 さて、肝心の深湯のお湯加減ですが、ちょっと熱めではあるものの最高に気持ちがいいです。透明且つ無味無臭のお湯で、泉質としては硫酸塩温泉なので、湯上がり後も肌がしっとりします。

 

 またお湯もさることながら、広い浴場空間がなんともいえない入浴体験をアレンジしていると感じます。広い空間に一人、お湯の流れる音だけが響く中で目を閉じると、なんだか大地と一体になるような壮大な感覚を覚えます。非常に貴重なことに、2日間で6回岩風呂に入ったのですが、一度も他の宿泊客と一緒になりませんでした。

ひょうたん風呂(貸切風呂)

 先述の通り、三之亟には岩風呂とは別の源泉(三之亟2号源泉)で配湯している、貸切用の「ひょうたん風呂」があります。立ち寄り湯客に対しては、男女別の時間帯が設けられていますが、宿泊者であれば基本的にいつでも貸切ができるようになっています(深夜時間帯は空いていればそのまま貸切)。

ひょうたん風呂を予約すると入り口に「貸切中」のお札を下げてもらえる

 源泉こそ異なりますが、泉質としては基本的には岩風呂と一緒です。ただしこちらは加水ができるようになっており、前の人が加水している場合は、その分温泉としての濃度が薄くなります。

こちらはレトロな四角タイル張りの浴槽
 
温泉成分によるプードル(温泉成分の析出物)ができている蛇口が源泉の出る蛇口で、白いつまみがある方が水の出る蛇口

周辺環境

 今回は周辺散策がほとんどできなかったので、風景のみこちらで共有します。特に、新しくできた日帰り温泉施設「『おくのほそ道』赤倉ゆけむり館」(上記地図には載っていない)の隣にあるカフェ「まじゃれ 茶や」は土日祝日限定のオープンですが、観光案内所も兼ねているとのことなので、次回以降の訪問時にしっかりと散策/訪問して追記したいと思います。

三之亟の裏手には小国川(最上小国川)が流れている。この川名は、かつて四方が山で遮られていたことからこのエリアが「小国」と呼ばれていたことに由来するようだ
老舗旅館の「湯沢屋」や老舗食堂の「クラブ食堂」などが集まるエリア
赤倉温泉唯一のお土産ショップ「宮島商店」

パンフレット類

三之亟のパンフレット(表面)
赤倉温泉のパンフレット(表面)。三之亟のパンフレットよりも若干縦に長い

おわりに

日中時間帯の岩風呂

 2泊3日の滞在中に何度かご主人とお話をする機会があったのですが、本当に源泉資源を大切にしながら宿を営んでいらっしゃるんだな、ということがわかるようなお人柄でした。建物は老朽化が目立つところもありますが、そんなことはどうでもよくなるくらいの素晴らしい岩風呂です。今のところ、人生が終わる直前の走馬灯として流れてほしい空間の一つだと感じています。源泉が非常に熱いので、厳しい寒さの冬に泊まるのが良さそうです。

 いやぁ、温泉って本当にいいもんですね~♨︎

文:ナガオカタケシ